父と私の病院生活
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わかれ
今日、父を火葬してきた。

祖母の時に経験済みだった事だが、慣れるような事じゃないらしい
父は大分痩せていたせいか、1時間と待たずして終わった。
あっけないもんだった。

未だに、十分な気持ちの整理はついてないみたいで
一日一日、今までしてきた事となんら変わらない日常が続いてた。

多分、私は父を忘れられないだろうと思った。
父を忘れると言う事は、父が生きていたこの世界から
父が居たと存在自体を消してしまう事になると思ったから


色々と声をかけてくれた皆さんに
この場を使って、御礼を言わせて頂きます。

ありがとうございました。
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病院生活の終わり
今日、父が亡くなった。
61歳だった。

本当に急の事だった。
早朝に病院から連絡があり、急いで向かったが
父の死に目には会うことが出来なかった。

祖母を看取った事があるので
泣かずにいられるかと思ったけど、実際冷たい父を目の前にして
私は1時間近く泣いてしまった。

入院してから1ヶ月弱
私は父を本当に入院させてよかったのかと葛藤した。

祖母も自宅ではなく、病院で息を引き取った。
そんな祖母を見ているからこそ
出来れば父は自宅で看取ってやりたかったが
出来なかった。

父の自由を奪ったのは私ではないかと
冷たくなる父に詫び続けた。
亡くなった人に対して、意味のない事は分かっていたけど
そうせずにはいられなかった。

今、この時点で何故私はBlogなど書いているのだろうかと
思いながらも書いている。
父が亡くなった時に、私の精神状態はおかしくなってしまったんではないかと
けど、自分ではそれも解らない。
父に対して、私はどれだけの事がしてやれたのだろうか

生前、父はよく私に言った。
「孫の顔が見たい」と、それも叶えてはやれていない
離婚した後に、私を引き取り育ててくれた父に対して
1つでも希望を叶えてやれたのだろうか

最近、家事をしていて思った。
父は家事もしつつ、仕事もし
私を育ててくれていた。

何か出来たかどうかも、もはや父に問う術がない
これから、この気持ちと対峙していかなくてはいけないのかと思うと
正直、辛すぎる。

もう文章にもなってない気がしてきた。
気持ちの整理がついたら、また書くことにします。
4日目
昨日の内に書こうと思っていたが
疲れからなのであろうか、いつの間にか眠りについていた。

昨日は父が最近の唯一の楽しみにしている
ロト6を買いたいと前日に言われていたので
差し入れの代わりに、ロト6のマークシートを持っていった。

今も、何かに摑まらないと身体が起こせない状態ではあったが
上半身を起こしてマークシートを塗りつぶしていた。
入院した当日からは考えられない事態ではあったが
それはそれで、安心している。

父がマークシートを記入し終わったので
ロト6を購入する為に、売り場まで行った。
父の入院している病院は、1年半前まで住んでいた場所なので
迷う事無く行けた。
売り場は総合テナントを設けている大手スーパーの一画にある。
ロト6を購入した後に、父が暇を持て余しているのを知っていたので
家電売り場へ向かった。

病院にも添えつけのテレビがあるのだが、父はテレビを余り見ない
どちらかというとラジオを聴く人なので
新しいラジオと大部屋の病室なのでイヤホンも購入してみた。
購入して、昔住んでいた町並みを見ながら病院へ戻る。
余り変化はなかったが、久しぶりに来た町並みは懐かしく思えた。

病院へ戻ってどれぐらいだろうか、医師と看護婦が来た。
いつもの医師とは違ったが
来週の水曜に、父の手術の内容と同意書を書いて欲しいと言われた。
医師の説明によると、手術を必要とする位置は
比較的楽な位置であると教えてくれた。
これが父や私を不安にさせない為の言いようなのか
それとも本当なのかは判らなかったが
今はその言葉を信用する事にした。

来週の水曜日は面会時間より早めに着て欲しいとの事だった。
長い一日になるかもしれない。
3日目
父が入院して3日が経った。

今朝は昨日ほど、起きた時の不安はなかった。
こうやって時間が経てば不安は無くなるのか?
そんな事を考えながら、今日も家事をした。

普段は、父自身が掃除していた父の部屋を掃除してみた。
休みの日にする掃除とは違い、何も考えずに掃除をしていた気がする。
自分で思っていたより早く終わってしまった。

今日は正直、父の見舞いに行くつもりはなかったはずだが
父も病院で1人である事を、自分がそうだったらと思うと
足が病院へ向いていた。


病院についた時、ちょうど配膳の時間だった。
だが、父は昨日から絶飲食になっており
父のベッドには配膳されていなかった。
けど、その事より別の事が気になった。
父の顔色が大分良くなっていた事だ。

相変わらず点滴、カテーテルなどは外れてはいない状況だったが
顔色の良さは明らかに違っていた。
まだ3日程度の入院だけど、この変化は正直嬉しかった。

来週の火曜日に、食道を拡張する為の
手術をする事になった。
その結果で食事が取れるようになれば、回復も早くなるだろうと
医師はそう言ってくれた。

父にも何の心境の変化だろうか、担当医師を気にいっているようだ。
私自身も国立病院の件で、病院や医師への不信感を持っていたのだが
この医師には、本当に感謝している。

明日もまた、何か変化があるだろうか
余り過度の期待をするのはいけないとはわかっていても
期待をしてしまう一日だった。
病院へ
今日起きてみて実感した事がある。
自分が1人である事に

祖母が亡くなり、父と私の2人暮らしだった。
父が寝ていたベッドを見て、改めて1人である事に不安を覚えた。

正直、私は父が嫌いだ
父は酒がとにかく好きで、悪酔いしては
祖母が生きていた頃には、祖母によく当たっていた。
私はいわゆる「おばあちゃん子」だったのもあり
当時、祖母に当たる父が許せなかった。

だが、今朝起きて父が寝ているはずであろうベッドを見て
父が亡くなった後、私は孤独になるんだと思ったら
不安感に押しつぶされそうになった。

知人に、天涯孤独の人がいるが
今日ほどその知人の強さを思い知らされた。

あれほど嫌悪していた父でも、居ないとなると不安でしょうがない
私はなんて身勝手なんだろう。
自分に嫌悪感を覚えた。

たが、そんな事を考えつつも時間は止まらない
父の病院の面会時間までにやるべき事が多かった。
朝の事を忘れるように、炊事や洗濯、掃除をこなしていった。

一通りの事を終わらせて時間を見ると
面会まで時間が2時間もあった。
父が居た時には、趣味などで2時間など潰すのは簡単であったはずなのに
何故か、何も手がつかなかった。

私は、知人に電話をした。
1人で居ることに耐えられなかった。
電話をした知人は、昨日も父の事で相談に乗ってもらっていた。
彼女の励ましの言葉に救われた。


そして、今日も父が入院している病院へ行ってきた。
1日ぶりの父に対面したが、一瞬自分の目を疑った。
父の身体から何本も管が出ていた。

父に聞いてみたところ、昨晩尿意が着て自分で行こうと試みたらしい
だが、父は行けなかった。
それどころか、ベッドから落ちたらしい
そんな父を見て、また泣きそうになってしまった。

それから父に色々聞いた。
父は多分始めてじゃないだろうか、紙おむつを履かされているらしい
父は戦後の生まれだが、戦後1年後という
物資の乏しい時代を生きてきた人だ。
それにも驚いたが、自分でトイレに行けない為に
尿道カテーテルが取り付けられていた。
父はプライドの高い人なので、多分これには相当屈辱的だろうと思う。

病院に来てから数分と経たずして、父をまともに見られない自分が居た。
だが、父も不安だろう
1時間ほど側に居た。
何をしてあげられるでもなく、ただ側に居た。
昨日もそうだったが、自分に出来る事がない事を痛感した。

30分後ぐらいだろうか、医師が回診に回ってきた。
医師から今後の説明を受けた。
人工的に食道を広げるつっかえ棒みたいな物を装着すれば
食事が取れるかも知れないと医師は話してくれた。
父はここ数週間、固形の食事が出来ない状況だったので
嬉しい話だった。
医師が次の回診へ行ったので、私は父の家へ帰りたいという意思を
尊重したかったのでソーシャルワーカーに話をしにいった。

父を担当してくれているソーシャルワーカーの女性は
親身になって相談に乗ってくれた。
父が現在入院こそしているが、退院が出来れば
在宅にて往診を受けたいという申し出に対し
色々と当たってくれると約束してくれた。
今後どうなるかは判らないが、今は彼女のその言葉を信じて
待とうと心に決めた。

その後、父の元へ戻って側に居たが
父の洗濯物などがあったので、それを持ち帰って洗濯をしたりせねば
ならない事もあり
自宅へ戻ることにした。


帰りの電車の中で、私はこの後どうなるかは判らないが
父と病院の事を、何かに書き記すという事もそうだったが
自分の記憶に残す意味も含めて何かに残す手段はないかと考えた。

自分でも言うのもなんだが、私は文章を書くという事が苦手だ。
日記などつけたこともないが、PC関連の仕事をしていた事もあり
Blogなら書けそうだと思い、今日から書き始める事にした。
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